ベルエキップ開店〜2011年まで
ベルエキップ初心者朝練の歴史
ベルエキップを開店した2001年4月から毎週行っていました。
当時のサイクルスポーツセンターは利用者がほとんどおらず、管理もあまりされていなくて、練習を始めた当初は無料(本当は有料だったと思う)開放に近い状態で運営が行われていました。
実は全国的に見ても平坦の自転車専用コースはほとんど(多分全く)存在せず唯一の専用コースだったと思います。
高校生の時にレースで走ったものの、ベルエキップを始める前に仙台に来た時、サイクルスポーツセンターをみて、まだまだ利用価値が高いコースで自分の目的でもあったツールやジロがあるヨーロッパ自転車の基本を伝えるにはうってつけの施設でした。
路面もあまりきれいではなかったのですが、かえってそれがテクニックを磨くには最適でした。
最初の頃は2、3人でほとんどマンツーマンでした。
朝練の目的は安全に走る基礎を覚える。
目標は安全に走れるように。
特にまっすぐ走る
これが一番大事なことでした。
まっすぐ走るには一人よりも数人で走った方が早く覚えることができます。 日本では公道で集団走行が難しく、また車優先社会なのでなかなか安全に覚える場所を探すことは難しいです。
次に回転で走る
回転で走ることで力が抜けて自然と早く長く走れるようになります。
2001年12月のサイクルスポーツの記事
開店した年の秋。誌面ではゆりあげCSCでの練習風景がアップされています。
これは併走の練習(回るローテーション)だったかと思います。
当時はこのタイプの基本の集団走行を行っているところは自分の知る限り無かったです。クローズドのコースがあったからできる練習でした。
いろいろなバーリエーションの練習ができるのが車の来ないサーキットの強みです。
参加人数も増えて多い時には40人以上でグループ分けでレベルごとに分けるようになりました。
宮城県クラブ対抗チームTTもありましたね。 4人編成で速いチームは平均40kmオーバーでした。
2004年頃
この頃から来場者が増えて入場に時間がかかるようになり開場時間を早めてもらった頃です。
ママチャリ8時間耐久レースが始まったのもこの頃からだと思います。
2007年頃
自転車通勤ブームでだんだん来場者が増えてきました。 ただ平日はほとんど走る人はなかったと思います。
また何年もなかった落車が増えてきたのもこの頃です。 原因はいろいろ考えられましたが、基本的なことをマスターする時間が短かったためだと思います。 まっすぐ走れるようになるとちょっとした接触でも簡単には転ばなくなります。
この10年のあいだ落車のよる骨折は3人。鎖骨2名 指1名 小さい転倒はおそらく10回ほどだったと思います。
冬でも走れた
前のコースは路面が簡易舗装が劣化した路面だったためザラザラでした。イン側は砂状になっていたためちょっとしたテクニックが必要でした。(単にペダルを止めなければ安全)
そのため雪がふっても凍結しないため、うっすら積もっても走ることができました。
新コースは路面がきれいだと思います。冬は凍結に注意が必要かもしれませんね。
ゆりあげCSCでの最後の練習は2011年3月6日(日)
この日は同時に若林区荒井でベルエキップの最終営業日でした。
ベルエキップは7日(月)〜11日(金)まで泉に移転する引っ越しのため 臨時休業。
そして2011年3月11日(金) ベルエキップ移転開店前日に東日本大震災が発生しました。
サイクルスポーツセンターも津波が来て、ベルエキップが泉に移転と同時に ゆりあげCSCでの練習も終了となりました。
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続く
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